Life is FIRE

40代で経済的独立を手に入れ、海外生活をもう一度手に入れるまでのあしあと

どの程度の投資収入が必要なのか?

FIREを目指すには最終的にどの程度の収入が必要となるのか?

この目標を持たないと具体的な行動は取れませんよね。

 

では、その目標は全員に当てはまる一定の固定的な解があるのか?

 

 

FIREに必要は稼ぎに必要な唯一の目標はあるのか?

そうではない気がします。

 

なぜなら、生活様式や満足度は人それぞれであり、その人が満足する生活水準や満足度に沿っていくら必要かというのは変わってくると思います。

 

例えば、今の自分は大体年間5百万円くらいの生活費で暮らしていると思うのですが、多少多いと感じる外食費(大体年間50万円くらい)を除いてはそんなに贅沢な暮らしをしているとは感じます。

 

例えば、服。以前ほどに服にお金はかけず、今はユニクロで機能的にもデザイン的にも満足していますし、全体的に質素といえば質素な生活をしているのかもしれません。

 

それとは逆にお金をかけているのが本(書籍)です。本には糸目はつけないといえば大袈裟かもしれませんが、欲しいと思ったものはすぐにいつでも、制限なく買います。とは言っても、読める量には限界があるのでせいぜい年間で30万円くらいでしょうか。週に2ー3冊を買っている感覚です。

 

 

FIREに必要な稼ぎの水準(私の場合)

私の場合、仮に年間の生活費として5百万円が必要とした場合、(セミリタイアした状況での本業として)年間3百万円、そして投資収入として年間2百万円が得られる状態をFIREな状態の最低ラインとして設定しようと考えています。これが最低限の水準。

 

この本業の収入と投資収入を合算した水準は今の私の稼ぎの半分以下になってしまうので、不安といえば不安なんですが、初めからあまり水準を上げてしまうと以下のような問題が発生してきます。

  1. セミリタイアの時期が先延ばしになってしまう
  2. (本業の稼ぎの水準を上げなくてはならないため)本業に投資する時間が多くなり、負荷が高まってしまう=当初の目的から遠ざかってしまう)

 

もう一つ、標準的な水準として達成したい水準は、年間5百万円の本業収入、そして投資収入として年間2百万円を得られる状態でFIREを実現することです。最低限の場合は投資収入を使い果たしてしまい、さらなる資産の積み上げは実現できない状態です。これでは、お金がお金を生むという原理を活かすことができないので、極力、投資収入は資産に再投資できる状態を目指したいと考えています。

 

以前の記事にも書きましたが、仕事自体は好きで、仕事の目標を達成するためには一定の負荷は問題ないのですが、仕事をする上での自由(いつ、どこで、誰と、何をやるか)を高く保つためにはまずは、稼ぎのハードルは低くして、仕事での自由度と稼ぎのバランスを見ながらそれぞれを大きくしていくのがいいんじゃないか、と考えているんですね。

 

 

lifeisfire.hateblo.jp

 

 

本業の収入である年間3百万円というのは恐らく日本の平均収入よりも低いと思います。もちろん、この収入水準を上回ることを目指しますが、上記の通り、優先順位は人生の自由、生活の自由、そして青い空を青いと言える心の余裕です。

 

最終的にどの程度の収入構成になるのか、これからの自分次第です。

 

 

 

 

 

 

FIREを達成して何がしたいのか?

FIREはそもそも経済的に独立して、アーリーリタイアしようというコンセプトなのは百も承知ですが、じゃあ、自分はこの状態を実現して何がしたいのか。

 

自分の場合は今のところ以下のようなものをあげることができます。

 

 

FIREを達成して実現したいこと

  1. 自由な時間
  2. 生活の自由度(どこに住むか、誰と住むか)
  3. 職業の自由度(誰と働くか、何を職業とするか、どの程度働くか)
  4. 濃密な1日
  5. 果てしない上昇欲(地位、給料)からの解放

 

 

1. 自由な時間

これは一番に達成したいことですね。時間は何よりも大切です。これは古くはローマ時代から言われていることで、永久不滅なロジックだと思います。セネカという有名な哲学者も「人生の短さについて」という哲学書の中でこう言っています。

 

 

多忙な人は、みな惨めな状態にある。その中でもとりわけ惨めなのは、他人のためにあくせくと苦労している連中だ。彼らは、他人が眠るのに合わせて眠り、他人が歩くのにあわせて歩く。 セネカ ー 生の短さについて

 

生の短さについて 他2篇 (岩波文庫)

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  • 作者:セネカ
  • 発売日: 2010/03/17
  • メディア: 文庫
 

 

若い頃、特に大学生の頃は時間なんて有り余って、暇な時間をどう埋め合わせるか、ということばかり考えていました。なんと、愚かな若造かと今では反省しきりです。でも、40歳を超えた今となっては正直、一分一秒たりとも失いたくはない、そんな心境です。中年以降の皆さんや意識の高いみなさんは同感してもらえるのではないかなと思います。

 

 

2. 生活の自由度(どこに住むか、誰と住むか、など)

これは海外に住んで初めて気付いたのですが、人口密度の高低と生活の質は相関が高いということです。東京に住んでいた頃は当たり前に感じていた満員電車。これは、今となってはどうしようもなく嫌ですね。人口密度は私の一つの感じ方なんですけど、人それぞれの好みや感覚に従って、心地いいと感じるところに住むかは人生の質を高めてくれると思いませんか。

 

仕事があるから、一定のところに住まなければならない、まあ、これまではそうだったのかもしれませんが、これからリモートで働く環境は一層充実するでしょうし、フリーランス的な働き方もより一層高まってくるでしょう。生活の自由度が先にあって、それに見合った仕事は何か?というこれまでの主従とは逆転した考え方もより高い市民権を持つようになるのではないでしょうか。

 

こういう自由度、本当に最高!!

 

 

3. 職業の自由度(誰と働くか、何を職業とするか、どの程度働くか)

これも生活の自由度に関連することですね。これも20代、30代に刷り込まれてきた価値観なんですが、嫌いな人、合わない人とも我慢して働く、時にはそれが修練の場にもなるという価値観を植え付けられてきて、強い人間になるにはこういう苦労も受け入れるということを自分自身にも強制してきました。

 

でも、20年経った今となっての素直な感想はそんなことでブルーになったり、嫌な気持ちで過ごす必要はないし、その時間がもったいない!!ということですね。先ほどのセネカではないですが、人生は短いんです。本当に短いんです。

 

もう、いちいち、余計なことで不安になったり、ブルーになっている場合ではないんです。それならば、どんな手段を使っても毎日、心も体も快活に過ごせる職業を選ぶべきです。

 

 

4. 濃密な1日

みなさん、働いているとあっという間に1日がなんの感動もなく過ぎ、気づいたらもう夜、寝る時間で1日が終わり。生きたという実感がないままに日々が過ぎて行く感覚を持たれたことはありませんか?

 

自分はしょっちゅう感じます。

 

原因は何かと時々考えるんですが、多分、仕事の割合が多すぎることが大きな理由の一つだと思います。言い換えると、ライフワークをもっと意識してバランスさせた方がいいと感じます。仕事だけで日々を過ごしていると、無感動な日々となりがちです。

 

子供の頃は1日が長く、時の流れも遅かったと感じることはありませんでしたか?聞いたところでは、この背景には、子供は大人と違って、日々の生活の中で大小様々な感動や気づきがあってこの印象が1日の時間の長短を決めているということでした。

 

日々の生活に気づきと小さくてもいいので何かかしらの感動に満ちた生活を送りたいです。

 

 

5. 果てしない上昇欲(地位、給料)からの解放

社会人になってずっと競争の中で過ごしてきました。さらにいうと就職の時から超氷河期と言われる中、人よりも一歩先んじて内定を取ることに明け暮れ、入社してからもいいポジションをとるために自己成長がいつでも求められると信じてきましたし、そうしてきました。

 

でも、20年の社会人経験を踏んだ結果、今言えるのは、「もう少しリラックスして生きてみたら?」という素直な疑問です。

 

まあ、確かに上昇欲や成長意欲というのは大切なことでしょうし、人類や社会の発展には欠かせないものなんだと思います。

 

一方でこれが行き過ぎると日々の生活の中でゆとりがなくなったり、4のところで書いた通り、仕事だけの生活で人生そのものをスルーしてしまうことにもつながってしまいます。

 

目標とする明確なレベルがあって、期限も決まっているならまだいいのかもしれません。でも、少なくとも会社員でいる限り競争の中でいつ終わるともない競争、人との比較、そして焦りや自己嫌悪にばかり陥ることはもうやめにしてもいいし、こんなことを何十年も繰り返していては、なんのために生きているのか、という話になりますよね。

 

FIREによって経済的な独立が達成できたならば、健全な成長意欲は維持しながらも、無駄な競争意識や競争環境からは抜け出して、このような抑圧から自由になるのが目標です。

 

 

6. さいごに

ちなみに、自分は仕事は好きです。ただ、誰と働くかは強烈にこだわりたいタイプです。FIREでリタイアとは言っているものの、リタイア自体が目的ではありません。FIREはあくまでもこれらの自由を獲得するための手段なのです。

 

FIREというのは完全なリタイヤというよりは、セミリタイヤして、ワークライフバランスの均衡点を探る、という行為の方がより正しい解釈なのかもしれませんね。

 

Life is Fire(Financial Independence, Retire Early)

Financial Independence

 

とてもいい響きです。

 

Retire Earlyというのは後から余裕を持って考えればいいとして、まずは経済的な独立を5年以内に実現すると今日(2020年7月7日)決めました。

 

これまでイメージした未来は概ね実現してきたのでこの目標もきっと達成したいし、納得のいく人生のためにはこれは果たさなければいけないと思います。

 

今、若い世代を中心にアーリーリタイヤを望む人がアメリカで生まれ、日本でも多くなっているそうです。

 

いい傾向ですね。

 

私は社会人になってかれこれ20年になりますが、つい最近まで経済的な独立を果たして、会社を定年前に辞めるなどとは、夢には思っても具体的な目標としては最初から諦めていました。

 

私は今、40歳の前半ですが今、大きな人生の転換期に自分がある気がします。

 

きっかけとなったのは、ヨーロッパで海外生活を3年程度経験して、そこに住む人たちが会社や仕事一辺倒ではなく、精神的に独立して生活を満喫している人が多いことを感じたこと。

 

これに対して自分は海外で生活していながらも、毎日朝起きると一番に電子メールを確認して、なんか変なメールが来ていないかと確認するところから始まります。

 

そして、一日平穏無事に何事も起こらないように祈るように過ごす毎日です。

 

確かに給料や待遇の面では恵まれています。ただ、このような毎日が自分の望む毎日なのか。何かを恐れ、人を気にして、人と比較しながら、人から示された方向に向かって進んでいく。

 

このような毎日がこれからも何十年か続くと考えると、いくら給料や待遇がいいとしても必ず死ぬ間際では後悔する、そう感じました。

 

ヨーロッパで知った人たちが教えてくれたこと、それは会社とお金に振り回されるのではなく、独立した個人として堂々と生きていくこと、心地よい生活を送ること。

 

どこで、誰と、何をするかは自分の意思で決める。

 

そのような人生にしたいと心から思います。

 

あとは純粋にヨーロッパの生活が心地よく、世界を旅するように、軽やかに人生を送ることができたらどれだけ幸せだろう、と考えるといてもたってもいられなくなるほどワクワクしますし、体重が10キロ減ったくらいに軽やかになります。

 

そのために、投資を軸にした第二の稼ぐ源を早く形にして、長続きできる状態にし、経済的な独立と自由の獲得を本気で目指します。

 

失敗と成功の両方を目にすることになると思います。でも、最後には目標は達成します。

 

その過程を皆さんと共有して、一人でも多くの人に私の過程を見ていただきたいです。